劇評336 

芝居を観た、という満足感に浸れる一級品の出来栄え。

 
 
「謎の変奏曲」

2017年9月16日(土)雨
世田谷パブリックシアター
17時30分開演

作:エリック=エマニュエル・シュミット 演出:森新太郎 翻訳:岩切正一郎

出演:橋爪功、井上芳雄

場 : 台風が向かいつつあるため雨模様なのですが、三軒茶屋駅から傘をささずに劇場へと辿り着ける世田谷パブリックシアターは、とても便利です。劇場内に入ると、舞台の緞帳は上がっていますが、美術は薄っすらと見えているくらいの状態です。

人 : 満席です。当日券も販売されています。お客さんは、50歳代がアベレージかな、やや高めな年齢層です。女性お一人客も目立ちますが、井上芳雄ファンなのかなと思われます。

 橋爪功と井上芳雄の二人芝居という1点において興味をそそられ観劇することにした。日本では、仲代達也と風間杜夫、杉浦直樹と沢田研二が、かつて演じたことがある演目だ。いずれも華ある実力派俳優がキャスティングされている。

 ノルウェーの孤島に住むノーベル賞作家アベル・ズノルコの許に、新聞記者エリック・ラルセンが取材のために訪れるという設定が成されている。舞台となる作家の屋敷の居間にその記者が慌てて駆け込んでくるところから物語は始動し始める。作家が銃を威嚇発砲したためのようである。冒頭から不穏な雰囲気が舞台に忍び込んでいく。作家を橋爪功が、記者を井上芳雄が演じていく。

 作家の最新作はこれまでの作風とは異なる、男女の往復書簡のような内容だということが分かってくる。偏屈な作家が、何故、取材を受けることにしたのか。取材をする記者は持参したテープレコーダーを何故稼働させないのか。序盤から、少しづつ伏線が配されていく。

 細かな布石が其処此処に仕込まれた戯曲を、ごく自然な出来事のように見せ続ける技がなければ成立しないホンであるが、薄皮を剥いでいくように真実が露見していくミステリアスな展開にリアルさを与えていくのは、橋爪功と井上芳雄に他ならない。

 芸術家の一種の狂気のような妄信と屈折した記者の疑念とがぶつかり合い、捻じれてほぐれた事実の後に、また、次の疑念が染み出て連鎖する。井上芳雄が橋爪功の胸を借り、橋爪功はがっつりと井上芳雄のボールを受け止める。その両者が対峙する様が実にスリリングだ。

 物語が進展していくに従い、二人の関係性がどんどんと変転していく。主導権がコロコロと転回していくため、舞台から目が離せない。台詞の機微をピックアップし、観客に伝播するようナビゲートする森新太郎の繊細な演出も見事である。

 エリック=エマニュエル・シュミットは、これでもかというくらい、色々な仕掛けを連打していく。ネタばれになるが、作家の往復書簡の相手が、実は記者ではなかったその男の妻と同一人物であったという展開には驚いたが、その女性がかなり前に亡くなっていたという事実にも驚愕した。では、手紙の返信をしていたのは、一体、誰なのか?

 真実が露見していくに従い、そこに現れてくるのは、男二人が抱えた果てしない孤独であった。そして、その孤独に寄り添い男たちの心を支えていた先にあったのは、愛であったという微かな安堵。もがき苦しむ男たちの心情に、観る者の気持ちもだんだんとほだされていくようなのだ。

 見事な構成の物語に知的好奇心が満足させられ、橋爪功と井上芳雄の演技が堪能できる、まさに、芝居を観たなという満足感に浸れる一級品の出来栄えだと思う。


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