劇評335 

等身大の人間を精緻に筆致し、生きることの覚悟を浮き上がらせたチェーホフ劇として出色。

 
 
「ワーニャ叔父さん」

2017年9月2日(土)晴れのち曇り
新国立劇場小劇場 18時30分開演

作:アントン・チェーホフ
上演台本・演出:
ケラリーノ・サンドロヴィッチ

出演:段田安則、宮沢りえ、黒木華、
山崎一、横田栄司、水野あや、
遠山俊也、立石涼子、小野武彦
ギター演奏:伏見蛍

場 : 新国立劇場小劇場という小空間で、この俳優陣を拝めるだなんて何という贅沢なこと。劇場内に入ると、既に舞台美術が設えられています。3箇所に吊られたカーテンの向こうには、居間の様な空間が広がっている様です。

人 : 満席です。当日券も販売されています。観客に男性客が多いのが目立ちます。ご夫婦とかではなく、お一人来場者も多い感じ。観客の年齢層は50歳代位がアベレージでしょうか。劇場内には落ち着いた雰囲気が漂っています。

 ケラリーノ・サンドロヴィッチが手掛けるチェーホフ作品を観るのは、「かもめ」「三人姉妹」に次いで3公演目となる。劇場は新国立劇場小劇場という小ぶりなハコで、出演者は華ある実力派俳優陣が居並んでいる。

 こういう小空間で、チェーホフを観れるのは何とも贅沢だ。室内劇は、交わされる会話が無理なく聞こえるサイズの空間で演じられると、劇世界に没入しやすく、登場人物たちの営みがよりリアルに感じられる気がする。

 本作も最初は舞台に紗幕が掛かったまま、しばらく物語が進行していく。大きな空間だと、そこで演じられている息吹を階上の奥の席にまで伝えるのは困難になると思われるため、舞台が見えないという演出はリスキーになってくる。小空間であることを活かした演出だ。また、音楽は、伏見蛍のギターの生演奏だ。物語とも上手く絡み合い、劇伴という概念から解き放たれている。ケラリーノ・サンドロヴィッチが仕掛ける繊細なアプローチに、知らず知らずのうちに引き込まれていく。

 物語は、ワーニャ叔父さんの家に集う人々の人間模様が、悲喜こもごもに展開していく。現在の生活に満足している人は誰もいない。皆、胸の内に不満や不安を抱えて生きている。

 100年先の人は私たちをどう思うであろうという台詞は、100年先を生きる私たちの心情とクロスする。人間が抱える悩みは、時空を経ようとも大きく変化しないのだということに、妙な親近感を抱いてしまうのは、チェーホフの真骨頂だ。だから、チェーホフは上演され続けているわけなのですね。

 チェーホフ戯曲の神髄を言葉の奥底から掴み出し、身体に馴染ませリアルに体現する俳優陣のナチュラルな存在感に、グッと親近感が湧いてくる。皆、小屋のサイズに合わせた表現を心得ているため、変な違和感は全くない。誰もが突出し過ぎることのない、バランスの取れたアンサンブルが心地良い空気感を醸し出していく。

 タイトルロールを段田安則が担い、氏の求心力ある存在感が、周りの俳優陣を牽引していく。作品の中における無理のないワーニャ叔父さんの在り方が、緩やかなリズムを舞台に投射していく。宮沢りえが登板するだけで、ステージがパッと華やかになる。スターのオーラを浴びることが、観る者が幸福感に浸れるということが実感でき、嬉々としてしまう。黒木華も今や売れっ子であるが、コンスタントに舞台経験を積み、実力を培っている。近々、再演となる「表にでろいっ」での好演も懐かしく思い出される。地味な娘像をナチュラルに演じ、印象的だ。

 生きとし生ける者の哀しさが、切なく胸に迫ってくる。生き方に迷い悩みながらも、それでも生きていかなければならない人間の宿命に、思わず共鳴している自分を見つけることになる。等身大の人間を精緻に筆致し、生きることの覚悟を浮き上がらせたチェーホフ劇として出色の出来であると思う。


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