劇評375 

時間軸と心象とがクロスし行き来する複雑な戯曲がエンタテイメントとして立ち上がった。

 
 
「オレステイア」

2019年6月16日(日)晴れ
新国立劇場 中劇場 13時開演

原作:アイスキュロス
作:ロバート・アイク
翻訳:平川大作
演出:上村聡史

出演:生田斗真、音月桂、趣里、横田栄司、
下総源太朗、松永玲子、佐川和正、
チョウ ヨンホ、草g智文、高倉直人、
倉野章子、神野三鈴

場 : 新国立劇場は、まあ、開放感ある造りですよね。今回はマチネだったので、ガラス張りの壁面から外光が降り注り、とても気持ち良いです。劇場内に入ると、ステージには黒い幕が降ろされており、そこにデジタル表示の時刻が投影されています。ほぼ定刻通りに開園します。

人 : ほぼ満席です。生田斗真ファンであろう女性客がやはり多いです。男性客は2割位になりますでしょうか。

 原作はアイスキュロスの「オレステイア」であるが、作は「1984」上演の記憶も新しいロバート・アイクである。父アガメムノンを殺害した母クリュタイメストラを殺めた罪で、オレステイアが裁判にかけられているという設定が成されているところから、物語はスタートする。予想を裏切る新鮮な幕開きだ。

 オレステイアの姉であるイピゲネイアをアガメムノンが生贄として捧げたことに、クリュタイメストラは激怒したわけであるが、その罪の連鎖を検証するかのような客観的視点を、この裁判という器がより際立たせていく。

 オレステイアの父への復讐を無実とするならば、クリュタイメストラの娘の復讐も正当化されることになる。この矛盾をどう解釈するのか。陪審員と共に観客にも、無罪なのか、あるいは有罪なのかの判断を突き付けてくることになる。

 しかし、オレステイアの記憶は曖昧だ。母殺しのことが記憶から抹殺されているのだ。そこで、女医が彼の記憶を紐解いていくことになる。一体、どのような経緯があったのだろうか、オレステイアの記憶が再現されていくことになる。

 タイトルロールを演じるのは、生田斗真。舞台で鍛え上げた演技力と、スターのオーラとが相まって、作品をグイと牽引する存在感が強烈だ。また、過去に遡り、記憶を再現するという曖昧模糊とした物語展開の軸を決して揺るがさず、オレステイアの心の奥底に堆積している心情の襞を、1枚1枚剥ぎ取るかのように繊細に表現する術が見事である。また、昇華しきった域に到達し得た者だけが獲得できる一種の透明感のようなものが、オレステイアを普遍的な存在へと導いていっている。

 クリュタイメストラは神野三鈴が受け持っていく。決して悪女なのではなく、娘を思っての復讐であることが明確で、逡巡する母の思いが観客にも伝播し、憐れを誘う。アガメムノンとクリュタイメストラの愛人・アイギストスを横田栄司が演じる。偉丈夫で大胆だが繊細さも秘めた男たちを、クッキリと演じ分け作品に重厚さを付与していく。

 イピゲネイアを趣里が演じ、生贄となる不運を運命と捉えているかのような前向きに生きる娘を実直に繊細に表現する。女医である松永玲子は、オレステイアの記憶を遡る旅のナビゲーターを担いつつ、物語を現代にブリッジさせ観客に届ける役回りも担い、作品に安定感を与えていく。

 記憶を遡り母を殺めた事実と向き合うが、オレステイアは姉のエレクトラが殺人を実行したのだと言いだしたりもする。無罪を主張するオレステイアでるが、陪審員の判断は有罪、無罪が同票となり、裁判長の裁量が委ねられることになる。

 裁判長は最後の判断をし、オレステイアは無罪となる。最後は一人が決めてしまうのかという、無罪ではあるのだが、何とも歯切れの良くない幕引きに、現代で起こっている様々な事象を思い浮かべることになる。この顛末を描いたロバート・アイクはどのような思いを込めたのだろうか。

 上村聡史の手綱捌きも見事に、時間軸と心象とがクロスし行き来する複雑な戯曲がエンタテイメントとして立ち上がった。現代社会へと投げ込まれた、司ることの曖昧さと矛盾をどう甘受するのかは、観客次第だと言えるのではないだろうか。


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