劇評334 

傑作現代劇が美しさに磨きをかけ歌舞伎として蘇った。

 
 
「野田版 桜の森の満開の下」

2017年8月26日(土) 曇り
歌舞伎座 18時30分開演

作・演出:野田秀樹
(坂口安吾作品集より)

出演:中村勘九郎、市川染五郎、
中村七之助、中村梅枝、阪東巳之助、
中村児太郎、阪東新悟、中村虎之助、
市川弘太郎、中村芝のぶ、中村梅花、
中村吉之丞、市川猿弥、片岡亀蔵、
阪東彌十郎、中村扇雀、他

場 : 遅ればせながら、新装・歌舞伎座、初来場です。造りは以前とあまり変わりないような印象です。エスカレーターやエレベーターが新設されています。2階席だったのですが、以前より舞台は近いような感じがします。席もゆったりとしてていて座りやすい。微妙に進化していました。

人 : 満席です。観客の年齢は総じて高めですが、時折、お若い観客の姿もお見受けするのは、野田秀樹氏の演目だからですかね。男女比は、女性が7割位の割合を示すでしょうか。

 かつて観た夢の遊眠社の「桜の森の満開の下」が、歌舞伎となって生まれ変わるとは夢にも思っていなかった。縁は繋がり、18代目中村勘三郎亡き後、野田秀樹の歌舞伎座公演は初となる。本作の歌舞伎化は、勘三郎との間で企画されていたようでもあり、念願の公演となるわけだ。

 「桜の森の満開の下」は天智天皇の治世下を舞台に取り、ヒトが住む世界と鬼が住む世界とが分かれていた頃という設定が、まず、面白い。此岸と別の次元との対峙が物語を紡ぎ、ダイナミズムを生んでいく。時代性と外連味が歌舞伎という様式の中に違和感なく収焉していく。

 時代設定もあり衣装は和だが、ひびのこづえの手に掛かるとオリジナリティある装いとなり独特だ。しかし、歌舞伎の衣装はそもそもナチュラルとは一線を画す仕上がりではないかと思いを巡らせる。堀尾幸男の美術は書割ではなく立体的だ。演目にパースペクティブな奥行が付加され歌舞伎の様式をグッと押し拡げていく。

 台本は修正が加えられたようで、七五調の言葉が聞く耳にも心地良い。音楽・作詞を担う田中傳佐衛門の調べが歌舞伎の様式を踏襲するなど、歌舞伎と現代劇とが違和感なく融和する。視覚と聴覚がヒリヒリと刺激される。

 中心に聳えるは、勘九郎。父である勘三郎の姿をオーバーラップさせて観てしまうのは私だけであろうか。勘九郎の個性でもある憎めぬ愛嬌の良さが万人を引き付ける磁力を放熱し、物語を牽引していく。運命に振りまされる役どころであるが、右往左往しながらも自力で未来を切り拓いていく強靭さに観る者もエンパワーされていく。

 七之助は残虐さを隠さず放出する狂気の姫という役どころに色香漂う生気を与えていく。エッジの効いたキレ具合は可愛くもあり怖さをも秘めている。回りにいる者全てを翻弄しながらも決して悪びれることのない姫を、七之助は嬉々として演じていく。幽玄さと欲望とが一緒くたになることで生まれる魔性の女振りが、何とも魅惑的だ。

 染五郎は、この8月の歌舞伎座公演は3部共出ずっぱりの八面六臂の活躍振りだが、本作では、姫に恋される二枚目な役どころを担っていく。しかし、魂胆をしっかり溜め込んだ複層的な心情を華やかな立ち振る舞いで外連味たっぷりに造形する。

 野田歌舞伎は連続登板となる扇雀は威厳ある存在感で王を、猿弥が流転する運命の山賊を軽妙に演じていく。彌十郎の偉丈夫なエンマ、芝のぶのコミカルな艶っぽさも印象的だ。

 傑作現代劇が美しさに磨きをかけ歌舞伎として蘇った。既に古典とも感じられるような仕上がりだと感じられるのは、演目の相性が歌舞伎とピッタリとマッチしたからに相違ない。どんなものが出てくるのかが予測できない楽しみを与えてくれる野田歌舞伎の次回作にも多いに期待したい。


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