劇評89 

復活して、見応えある大人のドラマへと変貌を遂げた。

「身毒丸 復活」




2008年3月22日(土)晴れ
彩の国さいたま芸術劇場 大ホール
午後6時開演

作:寺山修司/岸田理生
演出:蜷川幸雄
音楽:宮川彬良
出演:藤原竜也、白石加代子、品川徹、
    蘭妖子、石井愃一
場 : ロビーの物販コーナーなども、特に競って列を連ねることなく来場者も落ち着いた感じ。舞台出演が多い藤原くんなので、ファンの方々も鑑賞慣れしているのであろうか。パンフレットが、赤と青の色違いで2種類販売されていた。
人 : 満席。圧倒的に10〜20代の女性が多い。与野本町駅から、この演目を観に来た人は明らかに分かる感じ。藤原竜也ファンがほとんどなのであろう。

 藤原竜也のデビュー作である。その時の公演とその再演。遡ること、武田真治のバージョンまで全て観てきたが、主役である身毒に対する捉え方は全て違っている。武田真治は、半分大人になりかけた青年であった。それが藤原竜也に代わり、その時の実年齢故か、身毒は少年になっていた。そこから10年。同じ藤原竜也でありながら、今回の身毒は、男、になっていた。




 白石加代子演じる撫子と初めて会うシーンの身毒と撫子は、「近松心中物語」の忠兵衛と梅川の出会いの時のように、見つめ会うその姿は、男と女以外の何者でもない。一瞬、その場がストップし、凍りついたようにふたりの身体は硬直してしまうのだ。あらかじめ予期されていたかのような出会いにも思え、運命、を予感させるシーンである。




 身毒は撫子という新しい母親に一向に馴染むことはないが、自分を産んだ本当の母親が忘れられず、土足で自分の家に入り込んで来たかのような他人の撫子を拒否しているだけではない、その心の奥底にある、ヒリヒリと疼く身毒の深層心理が、今回は見え隠れする。訳なくどこかで惹かれる現実を振り払うがごとく、愛憎が整理出来ないまま混然として、撫子に辛くあたってしまうのだ。




 白石加代子演じる撫子が捉える身毒は、あくまでも子供であると思う。運命の愛を感じながら否定する身毒と、母親の愛情が少しずつ女の愛へと変わっていく撫子の気持ちの推移のズレと融合が、今回の見所であろう。但し、繊細で微妙な感情を紡いでいくため、演じる方も観る方も、ウカウカして何かの感情をツイツイ見逃してしまったりすると、ふたりの心情が途端に分からなくなってしまう危険性も秘めている。他人同士が、本当の親子以上の絆で結ばれていくというこれまでのロジックに加え、男と女の感情が横軸で織り込まれていくのである。複雑な心理劇の様相を呈してくる。




 藤原竜也は、声色も低く落ち着いた台詞廻しで、動作もあえて状況に俊敏に反応し過ぎない冷静さで、大人の男としての身毒を造り上げていく。家族合わせのカードを引き合うシーンでひとりのけものになった後なども、以前は自分の存在感を主張する気持ちが全面に出て母親のカードを振り飛ばしていたと思うが、今回はグッと気持ちが内省化し哀しい思いにいたたまれずカードを振り落とすという具合である。




 白石加代子は少ししっとりとした女のヒダを随所で感じさせてくれた。後半、鬼の形相になり身毒に立ち向かうシーンでも、以前よりも激しい気持ちが抑えられているような気がし、本音を言えない身毒というパートナーへの苛立ちにも見えてくる。品川徹の父は枯れた老人の佇まいを見せ、石井愃一の気風の良さが舞台に一陣の風を吹き込み、蘭妖子は寺山修司のイコンとしてクッキリと印象を残していく。




 蜷川演出も基本プランは変わらないが、終盤、幻想の人々が乱舞するシーンや、プロローグ、エピローグなども、驚かせ弾けまくるというよりも、ベクトルを身毒と撫子へと向かわせるためのひとつの状況として捉え、ヒタヒタと忍び寄る静けさすら感じさせる寂寥感に満ちていた。




 今公演は、ともすると破綻する危険性を孕むことで、よりスリリングな要素を獲得したとも言える。以前の焼き直しではなく、役者の成長と共に確実に変身を遂げていて、見応えある大人のドラマに変質していたと思う。